訳す上での工夫 of 『味わう生き方』を実践する




『味わう生き方』は”SAVOR”日本語版の題名です。

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ご挨拶

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 この度、Savorを翻訳をする機会を頂いた大賀英史です。震災の余波を乗り越えて5月に出版され、周りの方からも、「いい本だ」と好評をいただいているのですが、実践していただくと、何倍もの価値をもたらします。それが原著らのの願いでもあろうと思います。
 そこで、購読された皆さまが、ぜひ実践を継続され、真に幸福な日々を送っていただくべく、こういうサイトを作りました。リリアン・チェン博士がSavor the bookというサイトを開設・運営されているのも同じ目的だと思います。私は、訳者の立場から、皆さまに、本書を、より身近に感じて頂けたらと、訳す上での裏話を書いてみました。

訳す際に心がけたこと

 私は、プロの翻訳者ではありません。それでも、翻訳を許されたのは、栄養学や健康増進についての研究をする国の機関で理論や実践を蓄積してきた専門家として判断されたことが大きな理由の一つでしょう。
 翻訳とは、著者の考えの「背景」を理解して訳すことと考え、引用文献のうち、ネットから閲覧できる論文は、全て目を通しました。引用されている論文の大半は一流誌が多く、そういうものほど無料で公開されているため、かなりの数の論文が入手できます。有料($20~$30します)のものは入手が大変なので、公開されている抄録に目を通しました。報告書や図書は入手できませんでしたが、発行している財団や出版社のHPなどを見ると、著者がどういう意図や解釈で引用しているのを理解する程度のことは出来ました。
 このような作業のため、とても時間がかかりましたが、引用文献を読まなかったら、意味がわからないところは、カットするか、無理にこじつけた訳にせざを得なかったでしょう。訳文では、どの文をとっても考え抜いて納得したものにしていますが、急がば回れ、これこそ、マインドフルネスを意識しながら訳したから可能になったことかも知れません。
 英文を読むことに苦痛を感じない方、また健康や栄養分野あるいは社会開発や環境保全の分野の専門家でいらしたら、ぜひとも巻末の参考文献をネットで探してみてください。

 社会的には健康分野の専門家に分類していただけたとしても、その中には、さらにさまざまな分野に分かれています。私の場合、本書が扱うレベルについては、自分の研究論文でも引用をしていた論文もかなり使われており、内容を理解する上で、困ることはありませんでしたが、日本語で表現するとなると、各分野には、理屈を超えた独特な言い回しや漢字を使う伝統があります。proteinひとつとっても、分野によって「たんぱく質」、「タンパク質」、「淡泊質」など訳し方が異なります。私のベースは行動科学ですから、それぞれの分野の専門家には敵いません。
 そこで、3,4章の仏教、5章の栄養学、6章の運動科学は、各分野の専門家に内容と併せて、訳語をチェックしてもらい、全体を通じた理解や訳語についても、リリアン博士の研究拠点である、ハーバード大学大学院(Harvard Shool of Public Health)に留学し、学位を得てこられた日本人の医師の先輩に見てもらいました(お名前等は、本書の「謝辞」に譲ります)。
 協力が得れたのは、国立健康・栄養研究所や日本衛生学会という、多分野の研究者が議論をしあえる環境に居たということもありますが、本書の内容に、いずれの博士たちも共感して価値を見出されたからです。

 本書は、世界中の誰もが抱える問題を取り扱っていますが、まずは米国人を想定した内容になっています。米国の肥満度はOECDの中でトップですが、日本は最下位です。米国の食環境や人々の食行動は、日本とはかなり異なります。そこで、1章では、日本ではそこまで、あるいはそのように食べる人は少ないだろうと思われるところは数か所割愛し、また、5章に出てくる食べ物については、日本ではあまり料理に使わないもの、入手が困難なものは、省略しました。6章の運動のガイドラインは米国人用の基準なので、日本人のための基準を併記しました。8章の社会と個人が相互に影響することを示す図は、原書では「WEB」でしたが、日本語で直訳すると「蜘蛛の巣」ですので、すこし・・・ですね。そこで、内容を黙想していると、ふと「古池や、かわず飛び込む水の音」を想いだしましたので、「波紋」と訳しました。訳者の特権で、ちょっとした遊びをさせていただきましたが、原書と違っているとしたら、そういうところです。

 翻訳をする過程で、仏教の勉強をしてみましたら、本書で平易な英語に表現されている熟語には、仏教の世界では、それぞれ列記とした専門用語である熟語であることがわかってきました。当初は、それを探り当てるのが謎解きのようで面白かったのですが、置き換えていくと、日本人でも見聞きした漢字の2語ばかりで、意味がわかりそうで、わかりにく代物になってしまいました。
 これでは、せっかく老師が古典に基づいて現代人向けに、わかりやすい言葉に置き換えられた努力を無駄にしてしまいます。そこで、仏教色を感じる言葉には、あえて訳しませんでした。
 読者が仏教徒でいらしたら、平易すぎて、知的な満足感は得ていただきにくいかも知れませんが、本書はおそらく、仏教を学びたい人のためではなく、肥満やストレス、運動不足などで悩んでいる、一般的な方に向けて書かれたのだと思います。もし、本書を機会に仏教に興味を持たれたら、老師が書かれ他の多数の本には、仏教の専門家向けかとも思える本がいくつかあるようなので、それをご覧ください。本書には代表的な瞑想法が含まれていますが、あまりに平易すぎると有難味が感じられない、仏教的な香りがする方がいいという方には、老師の著作をたくさん翻訳されている専門家の訳を参考にしてください。瞑想をより仏教的に訳したもの

 以上のことは、専門的な本を翻訳をする場合は、ここまでクドク言わなくても、当前の姿勢なのかも知れません。
 老師の本は、知識を高めるため以上のものがあります。世界中でファンが多いのは、宗教臭くなく、とてもわかりやすい一方で、現実の問題解決に、すぐ役立つ簡潔で力強いメッセージだからでしょう。その部分をどう日本語に表すか、これには、既存の方法が見当たらず、困っておりました。そして、出来ることは、ただ、「本書の書かれていることを、日々、実践してみる」ことでした。
 瞑想はもちろんですが、実践してみて感動が今も続いているものがあります。4章に「種子」と「水やり」の話がありましたので、家の庭を耕して、種を植えてみたことです。翻訳で疲れた目と身体が、植物の世話をしているととても癒され、始め細く小さい畝でしたが、今は、庭先には、トウモロコシ、トマト、キュウリ、エダマメ、シソ、バジル、ゴーヤ、ししとうなどが、所狭しと植わっており、時々、食事を賑せます。
 種子のたとえは、唯識論という仏教では核となる理論だそうですが、植えたものが芽を出し、成長していくたびに、じっくりと観察したり、水やりを欠かさないように気遣うのが楽しく、書かれていることがわかったような気がしてきました。
 本が出た後も、翻訳した以上は、自分がまずそれを実践しなくては、という気持ちが続いています。これまでも地域での健康づくりのサークル活動などを、身の丈にあった範囲で継続してきましたが、8章の社会変革の話を意識して以降は、身近に起こった出来事の中にも、昨今の地域社会の壁(たとえば、子どもが花火が出来ないとか、標識が不足による自己の発生など)を発見した場合、それまでとは違って、近所の方と連携して、それらの壁を乗り越える、あるいは取り除くような働きが自然と出来るようになりました。
 本書は、1回読むだけではなく、時々、手にして少しでも目を通すと、自然とそれが実践できるように思えます。
 皆さまも、本書を時々手にとって、その時に気になったところを目を通すことで、きっと幸福を手にされると思います。どうぞそれを存分に味わってください。

訳すことの苦楽

肩がとても凝ったこと
 1日10時間以上、ずっとパソコンに向かい続けたので、肩は、吐き気がするほど凝りました。週に2回、接骨院通いましたが、その時は、至福の気持ちよさを味わえました。文字通り、苦しみがあったからこそ、味わえる喜びです。今も、パソコンに向かって仕事をすることが多く、すぐに肩と背中が凝るのですが、あのころに編み出した自分特製のストレッチ法のお蔭で、以前より、ずいぶんと早く解消するようになりました。これも、苦労をしたおかげですね。

視力が下がった
 眼精疲労が続いたのか、あるいは老眼が早く来たのか、翻訳が終わった後も、字が以前より読みずらくなりました。大学院時代に出たゼミで、医療人類学の草分けの先生が、「翻訳を1冊するとメガネを変えなくてならないほど視力が下がる。」と言われた言葉を思い出し、自分もそれに倣ったようで、ヘンな自負心を感じましたが、メガネ屋での検眼で、老眼は入っていないことがわかり、安堵を覚えました。

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